法事が1時間で終わる理由。そこに隠された「無常」の考え方
昨日、祖母の三回忌の法事に行ってきました。
そこでお坊さんがしていた話が面白かったので記事にしてみました
法事ってだいたい 1 時間ほどで終わりますよね。
でもこれ、ちょっと昔だったらありえないことだったそうです。
昔は親戚一同が集まり、丸 2 日(あるいはそれ以上)の時間をかけて、お経を読み、故人を偲ぶ儀式を丁寧に執り行っていたのだとか。
丸 2 日かけていたものが、いまやスマートに 1 時間。
この「時間の変化」を仏教の教えに照らし合わせると、仏教が大切にしている「無常」という考え方を、彼ら自身が組織や行事のあり方として体現しているからに他ならないのだそうです
自分で言った「無常」を、自分で守るスタイル
仏教の根っこにあるのは、「この世のすべてのものは、ずーっと同じ形ではいられないよ。変わり続けるのが自然なんだよ」という教えです。
面白いのは、仏教自身がこの「形を変えながら、時代に合わせていかなきゃダメだよ」というルールを、自分たちの行事運営においても大切に守ってきたという点です。
もしお寺が、「昔のやり方が絶対です!何が何でも丸 2 日かけて法事をやります!」と頑固に意地を張っていたらどうなるでしょうか。
時代とともに人々のライフスタイルは変わり、そのやり方は今の環境に合わなくなってしまいます。
結果として、誰もついていけなくなってお寺自体が残れなくなっていたかもしれません。
だからこそ、「皆さん忙しいですよね? じゃあ中身をギュッと濃縮して、大事なところを 1 時間でカチッと終わらせるようにしますね!」と変化したは、生き残るために時代のニーズに合わせた、「最適化」といえます。
変化を受け入れて、形を変えていく
今でこそ仏教と言うと葬式関係の行事をやってくれる所ぐらいの感覚ですが、まだ聖徳太子が居た頃の話で、お坊さんが海外から来るとセットで「最新の建築技術を持ったチーム」「最先端の医療チーム」がついてきていたので、今で言うシリコンバレーの最新鋭技術を持った集団が来る!みたいな感覚だったそうです。
プリンター技術においても、お経を大量印刷するために仏教が使ったのが最初と言われていて、最古の印刷物として奈良に展示されているほどです。
無常の精神で変化を続けた結果今は今のスタイルに落ち着いていると言えます。
お経の「中身」そのものも時代に合わせてアップデートされている
かつては膨大で難解だったお経も、歴史が進むにつれて「これなら日常の中で一瞬でできるでしょ?」と、大事なエッセンスだけがギュッと凝縮されていきました。
その究極の形が、誰もが耳にしたことのある「南無阿弥陀仏」といった、わずか数文字のワンフレーズです。
忙しい庶民のライフスタイルに合わせて、いつでもどこでも唱えられるように、お経そのものを極限までシンプルにアップデートしたわけです。
過去のやり方に固執せず、今の環境に一番いい形にパッと切り替えていく。
1 時間でサクッと終わる現代の法要の裏側には、そんな仏教の「しなやかで柔軟な生存戦略」が隠れているようです。
過去の成功体験や「こうあるべき」という固定観念にしがみつくより、形を変えることを恐れずに、今の時代に合わせてしなやかに動いていく。
1 時間でサクッと終わる現代の法要は、そんな「時代を生き抜くためのヒント」を、言葉ではなく行動で語ってくれているような気がします。
そう思うと、退屈に思えるお経の時間も、なんだかいつもより少しだけ面白く感じられてくる気がします。
PS.当時の聖徳太子が最新の技術に目をキラキラさせていたのと同じで、今AIを積極的に触っているぼくらは聖徳太子と同じ遺伝子を持っているのかもしれないですね

